まだ先日の演奏会の余韻が覚めず、「グローリア」や「ユビラーテ・デオ」を口ずさんでいますが、グリーン・エコーは、第64回演奏会(2024年3月)レパートリーのモーツァルト作曲「レクイエム」とフォーレ作曲「レクイエム」の練習を始めました。
フォーレは初めて演奏会で歌います。モーツァルトは、歌った記憶があるので調べてみたら、@1966年第9回演奏会で、抜粋した4曲(ピアノ伴奏) A1977年名古屋フィルハーモニー定期演奏会 B1991年ベルリン交響楽団日本公演 があり、AとBに出させて頂きました。
30年40年以上も前ですので、まだまだ若い頃です。その頃に覚えた曲は忘れていないんですよね。練習を始めるとメロディーや歌詞が出てくるんです。その時に使った楽譜も出てきました。指揮者からのテンポ・強弱・歌い方等の指示が、いっぱい書き込んでありました。
来年もまた松井慶太先生が振って下さいます。どんなモーツァルトやフォーレになるのか凄くワクワクしています。どのような要求にも応えられる様に、しっかり練習していこうと思います。(Q)
2023年03月26日
2023年03月05日
第63回演奏会を終えて
3月4日に第63回演奏会を無事に終えることができました。多くの方にご来場いただき、また会場アンケートなどで暖かいお言葉を頂戴して大変感謝しております。
今回演奏した曲は日本初演となるカール・ジェンキンス作曲「グローリア」とダン・フォレスト作曲「ユビラーテ・デオ」です。多言語の歌詞と複雑なリズムに苦労しましたが、親しみやすい旋律で、楽しくそして感動しながら歌いました。
また、これらの曲は旋律から色々な風景を喚起できる曲です。中国の農村の穏やかな夕暮れ、森から出てきて広大な大地に接した時の感動、様々な神々への礼拝、アフリカの大地で太鼓の音で踊り興ずる人たちなどです。歌っているとこうしたイメージが次々と浮かんできて、心の中が広がっていくような感覚を持ちました。おそらく作曲者たちが曲に込めた思いとしては、世界の人々のそれぞれの生活や宗教、文化、自然への賛美があり、「ユビラーテ・デオ」最終楽章の英語の歌詞「世界中が歓喜の中で歌い、踊り、叫ぶ」というメッセージに集約されていると思います。
1年ほど前に実施した前回の演奏会は、ロシアのウクライナ侵攻が始まって1ヶ月も経過していない時期だったので、ベートーヴェン作曲「荘厳ミサ曲」の中のpacem(平和を)という言葉の重みをかみしめながら歌ったことをブログに書きました。あの時以来、事態はますます深刻化しています。やり場のない怒りと悲しみの中で、今回は「世界中が歓喜の中で歌い、踊り、叫ぶ」の実現を訴えるつもりで、力を込めて歌いました。
我々を丁寧にご指導くださった指揮者の松井慶太先生、素晴らしいパフォーマンスをご披露いただいた名古屋フィルハーモニー交響楽団の皆様、ソリスト・朗読者の皆様、そして演奏会の運営を支えてくださった関係者の皆様に心から御礼申し上げます。ありがとうございました。(ヨッシー)
今回演奏した曲は日本初演となるカール・ジェンキンス作曲「グローリア」とダン・フォレスト作曲「ユビラーテ・デオ」です。多言語の歌詞と複雑なリズムに苦労しましたが、親しみやすい旋律で、楽しくそして感動しながら歌いました。
また、これらの曲は旋律から色々な風景を喚起できる曲です。中国の農村の穏やかな夕暮れ、森から出てきて広大な大地に接した時の感動、様々な神々への礼拝、アフリカの大地で太鼓の音で踊り興ずる人たちなどです。歌っているとこうしたイメージが次々と浮かんできて、心の中が広がっていくような感覚を持ちました。おそらく作曲者たちが曲に込めた思いとしては、世界の人々のそれぞれの生活や宗教、文化、自然への賛美があり、「ユビラーテ・デオ」最終楽章の英語の歌詞「世界中が歓喜の中で歌い、踊り、叫ぶ」というメッセージに集約されていると思います。
1年ほど前に実施した前回の演奏会は、ロシアのウクライナ侵攻が始まって1ヶ月も経過していない時期だったので、ベートーヴェン作曲「荘厳ミサ曲」の中のpacem(平和を)という言葉の重みをかみしめながら歌ったことをブログに書きました。あの時以来、事態はますます深刻化しています。やり場のない怒りと悲しみの中で、今回は「世界中が歓喜の中で歌い、踊り、叫ぶ」の実現を訴えるつもりで、力を込めて歌いました。
我々を丁寧にご指導くださった指揮者の松井慶太先生、素晴らしいパフォーマンスをご披露いただいた名古屋フィルハーモニー交響楽団の皆様、ソリスト・朗読者の皆様、そして演奏会の運営を支えてくださった関係者の皆様に心から御礼申し上げます。ありがとうございました。(ヨッシー)
2023年02月27日
ひたすら
少し前、団内機関紙『しんりょく』に、暗譜のコツを何人かの団員に尋ねた回答文が掲載されました。手拍子が出てくる曲は暗譜する、と団で決めたものの、苦戦する人が多かったためです。いつも早い段階から暗譜できているテナーのTさんのコツを知りたいと思いながら読んだのですが、Tさんに限らず『ひたすら歌う』という回答が多かったです。私がいつも歌っている通勤の車の中、というのはどうやら定番のよう。安直な道などないのだと、がっかりするようなホッとするような…。でも歌いこんだ結果として、いつの間にか覚えていた、というのが私にとっては理想です。
25日は松井先生のご指導で本番前、最後の練習でした。松井先生の練習については前回のブログでも取り上げていますが、いつも練習が終わるのが惜しいほど楽しく幸せな時間です。今回はオーケストラのスコアについても話してくださり、次の木曜のオケ合わせが楽しみになってきました。
練習場までの往復3時間の車中と練習の2時間半、ひたすら歌って家に着き、まだ歌いたい気持ちで遅い夕食をとりました。こんなふうに『ひたすら歌える』のは幸せなことです。歌いたいというモチベーション、家庭や職場の環境、健康状態…等々、全てに恵まれたことに改めて感謝しています。
いよいよ、今週土曜日が演奏会です。お客さまに楽しんでいただけるよう、皆で心を込めて歌います。ご来場を心よりお待ちしています。(A)
25日は松井先生のご指導で本番前、最後の練習でした。松井先生の練習については前回のブログでも取り上げていますが、いつも練習が終わるのが惜しいほど楽しく幸せな時間です。今回はオーケストラのスコアについても話してくださり、次の木曜のオケ合わせが楽しみになってきました。
練習場までの往復3時間の車中と練習の2時間半、ひたすら歌って家に着き、まだ歌いたい気持ちで遅い夕食をとりました。こんなふうに『ひたすら歌える』のは幸せなことです。歌いたいというモチベーション、家庭や職場の環境、健康状態…等々、全てに恵まれたことに改めて感謝しています。
いよいよ、今週土曜日が演奏会です。お客さまに楽しんでいただけるよう、皆で心を込めて歌います。ご来場を心よりお待ちしています。(A)
2023年02月12日
松井慶太先生の練習日
来る3月4日(土曜日)の第63回演奏会で歌う『ユビラーテ・デオ』(7楽章)は、旧約聖書の「詩編100」(賛歌 感謝の詩)をラテン語、ヘブライ語、アラビア語、中国語、ズールー語、スペイン語そして英語の7か国語で、『グローリア』(5楽章)にはラテン語の典礼文「栄光の賛歌」にヘブライ語の「詩編150」が挿入されています。
とりわけ中国語の発音が難しかったのですが、ネイティブの先生の講習があり、それらしい雰囲気で歌えるようになりました。
松井慶太先生の3回目の練習では、それぞれの言語に沿って個性的に表現された、各楽章のイメージを豊かにふくらませてくださいました。
中国語のやわらかく、ふわっとした音色には「水墨画のように、湿度と温度を高め、色々な香りがするように」とか、「リズムが言葉からあふれる」ズールー語の楽章では、ドラムの神様「スティーヴ・ガッドの大地を踏みしめるような深いビートを」などと。
そして練習最後に「聴いてくださる方たちには、言葉はわからなくても、歌詞と音色はつながっています。もうひと頑張りしましょう!」と。
先生のコメントを、赤鉛筆で書き込んだ楽譜の歌詞を、さらに深く読み込んで、「寒いときに手をあたためるように、大地をあたためるような声」で歌えたらと思っています。
戦いや災害の地に想いを馳せ、平和を願う気持ちで会場が満たされることを祈りつつ。
そんな気持ちを、しばらく誘っていなかった懐かしい友人たちにも伝えたくなりました。
こちらも、「もうひと頑張り!」です。(U)
とりわけ中国語の発音が難しかったのですが、ネイティブの先生の講習があり、それらしい雰囲気で歌えるようになりました。
松井慶太先生の3回目の練習では、それぞれの言語に沿って個性的に表現された、各楽章のイメージを豊かにふくらませてくださいました。
中国語のやわらかく、ふわっとした音色には「水墨画のように、湿度と温度を高め、色々な香りがするように」とか、「リズムが言葉からあふれる」ズールー語の楽章では、ドラムの神様「スティーヴ・ガッドの大地を踏みしめるような深いビートを」などと。
そして練習最後に「聴いてくださる方たちには、言葉はわからなくても、歌詞と音色はつながっています。もうひと頑張りしましょう!」と。
先生のコメントを、赤鉛筆で書き込んだ楽譜の歌詞を、さらに深く読み込んで、「寒いときに手をあたためるように、大地をあたためるような声」で歌えたらと思っています。
戦いや災害の地に想いを馳せ、平和を願う気持ちで会場が満たされることを祈りつつ。
そんな気持ちを、しばらく誘っていなかった懐かしい友人たちにも伝えたくなりました。
こちらも、「もうひと頑張り!」です。(U)
2023年01月26日
めざせ暗譜!
3月4日のグリーン・エコー第63回定期演奏会まで、正味1か月となりました。実は、今回演奏するカール・ジェンキンスの「グローリア」の3曲目には手拍子をするところが2か所あります。練習を始めた頃、「楽譜を持ちながら手を叩くことはできないのだから、その間だけ楽譜を脇にでも挟むのだろうか、それにしてもほとんど暗譜しないといけないのか」と不安に思っていたところ、12月になると、音楽委員会から、「今回の演奏会は暗譜を目指そう」という呼びかけがあり、少なくとも「グローリア」の3曲目は暗譜するということになりました。
さあ大変です! 何度も歌っていると自然に音と歌詞が覚えられる曲もありますが、そのような曲でも細かい音の長さや強弱、他のパートの動きなど、すべてを覚えるのは難しいので、今までも暗譜で臨んだ本番は少なく、自分のパートはほぼ覚え、でも楽譜は持って歌う演奏会が多かったのでした。しかも、「グローリア」の3曲目の歌詞はなんとヘブライ語!
6回、同じ音程が繰り返されるのですが、歌詞によって全く違うメロディのようになっていて、とてもハードルが高い。例えば、「ハレルヤ(フ)」というところでも、「ハレルーヤーー」だったり、「ハーーレルーフ」だったり、まったく頭が混乱してしまいます。
ある日の練習の帰り道で、同じ方向に帰るメンバーに「とても覚えられる気がしないわ」とぼやいたら、その人は「100回やってできなくても、200回やればできるかもしれない」と、とても積極的です。そこで、私も考えを改め「頑張らねば…」と奮起しました。
ところが、通勤していた頃は、地下鉄やバスの乗車時間にイヤホンで音楽を聴くことができたので、暗譜する時間も確保できたのですが、職を離れて“主婦”となってみると、自分だけで音楽を聴く時間は意外に持ちづらいのです。そこで、まずは3曲目の暗譜を目指そうと、自分が覚えやすいペーパーを作ることから始めました。
楽譜のコピーを切り貼りして、自分のパートだけにし、6回繰り返される部分を並べて、歌詞の区切りに線を引き、どこが異なっているかが一目でわかるようにしました。それをまずは一人になれる場所、トイレに貼りました。そして、お風呂場にはビニール袋に入れたものを置くようにしました。もちろんお出かけする時のバッグにも潜ませました。ふふ、なんだか試験勉強でもしているような気分になります。
それからは、そのペーパーとにらめっこです。1回目を覚えた、と思って、次に進みます。そのあとに覚えたはずの1回目を歌おうと思うと、もうごちゃごちゃになってしまいます。
しっかりついた“老人力”が恨めしくなるのですが、ただ繰り返しあるのみです。
さて、そろりと老いの道を歩みながらも、久しぶりに“負けるもんかの精神”を奮い立たせる私は、あと1か月でどこまで覚えられるでしょうか?
願わくば、本番には楽譜を外して、指揮者に集中して思い切り歌いたい。楽譜とのにらめっこは続きます。(M)
さあ大変です! 何度も歌っていると自然に音と歌詞が覚えられる曲もありますが、そのような曲でも細かい音の長さや強弱、他のパートの動きなど、すべてを覚えるのは難しいので、今までも暗譜で臨んだ本番は少なく、自分のパートはほぼ覚え、でも楽譜は持って歌う演奏会が多かったのでした。しかも、「グローリア」の3曲目の歌詞はなんとヘブライ語!
6回、同じ音程が繰り返されるのですが、歌詞によって全く違うメロディのようになっていて、とてもハードルが高い。例えば、「ハレルヤ(フ)」というところでも、「ハレルーヤーー」だったり、「ハーーレルーフ」だったり、まったく頭が混乱してしまいます。
ある日の練習の帰り道で、同じ方向に帰るメンバーに「とても覚えられる気がしないわ」とぼやいたら、その人は「100回やってできなくても、200回やればできるかもしれない」と、とても積極的です。そこで、私も考えを改め「頑張らねば…」と奮起しました。
ところが、通勤していた頃は、地下鉄やバスの乗車時間にイヤホンで音楽を聴くことができたので、暗譜する時間も確保できたのですが、職を離れて“主婦”となってみると、自分だけで音楽を聴く時間は意外に持ちづらいのです。そこで、まずは3曲目の暗譜を目指そうと、自分が覚えやすいペーパーを作ることから始めました。
楽譜のコピーを切り貼りして、自分のパートだけにし、6回繰り返される部分を並べて、歌詞の区切りに線を引き、どこが異なっているかが一目でわかるようにしました。それをまずは一人になれる場所、トイレに貼りました。そして、お風呂場にはビニール袋に入れたものを置くようにしました。もちろんお出かけする時のバッグにも潜ませました。ふふ、なんだか試験勉強でもしているような気分になります。
それからは、そのペーパーとにらめっこです。1回目を覚えた、と思って、次に進みます。そのあとに覚えたはずの1回目を歌おうと思うと、もうごちゃごちゃになってしまいます。
しっかりついた“老人力”が恨めしくなるのですが、ただ繰り返しあるのみです。
さて、そろりと老いの道を歩みながらも、久しぶりに“負けるもんかの精神”を奮い立たせる私は、あと1か月でどこまで覚えられるでしょうか?
願わくば、本番には楽譜を外して、指揮者に集中して思い切り歌いたい。楽譜とのにらめっこは続きます。(M)